メンバー列伝 トニー・カレイ
名盤Risingにその名を残したキーボーディスト、いまだ現役

Rainbow時代のトニー(向かって一番左)
10月16日カリフォルニア州ターロック生まれでキーボーディスト。名前の表記はほかにトニー・カーレイ、トニー・ケアリー、トニー・キャレーなどがある。幼いころから教会のピアノやパイプオルガンを弾くのが好きだったらしい。10代の頃には近所の友達とThe Doorsの曲を演奏したり、学校のオーケストラでコントラバスを弾いたりもしていた。
最初の活動はBlessingというバンドで、使っていたスタジオの近くでRainbowがリハーサルを行っていたのが加入のきっかけである。
1975年、ミッキー・リー・ソウルの後任としてRainbowに加入。バンド内では最年少だった。2ndアルバム・Risingのキーボードを務めツアーにも参加するが、77年にリッチー・ブラックモアによって解雇。実は直後に一度だけ復帰しているがすぐにまた脱退している。原因はトニー自身の性格およびドラッグと、リッチーおよびコージーによる度重なるいたずらだったらしい(リッチーのいたずらは時に犯罪レベルになることがあり、自身の排泄物を包んだ袋をメンバーの部屋に置いたりしたという話もある)。
Rainbow脱退後はロニーとの接点はないが、ソロその他で今でも現役活動中。1982年のIn the Absence of the Catから2019年の Lucky Usまで19枚のスタジオ盤・ライブ盤をリリースしている。ほかにもインストゥルメンタルアルバム、コンピレーションアルバムなど多数。また、Rainbow以外のバンドではPlanet P Projectが有名。トニーはこのバンドを82年に結成して2枚のスタジオアルバムを出したが、その後2003年~09年と2013年に再結成してさらに3枚のスタジオアルバムを発表した。
2009年にはRainbowのトリビュートバンド「Over the Rainbow(※)」に短期間ながら参加した。
※ほかのメンバーはジョー・リン・ターナー、ボビー・ロンディネリ、グレッグ・スミス、リッチーの息子のユルゲン・ブラックモア。
同年3月に膀胱癌を患うも12か月の治療の後に復帰。奇しくも2010年はロニーが癌で亡くなった年であり、トニーはこのことについて「とても哀しい。同じ病気の自分は回復したのに」と語っていた。
ロニーとの共演作:Rising
参照:Wikipedia(英語版)
allmusic.com
本人のウェブサイト
https://www.tonycarey.com/
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