いかに「The DIO Years」は短い時代に光を当てたか by Ultimate Classic Rock
「How Black Sabbath's 'DIO Years' Highlighted Brief Era」
by Nick Deriso, April3, 2017
「The DIO Years」の重要性について、発表から10年を経た2017年にあらためて振り返った記事です!
「The DIO Years」は、ロニー・ジェイムス・ディオ在籍時のBlack Sabbathの曲、およびベスト盤のために新録された3曲から構成されたベスト盤。

向かって左からロニー、ヴィニー・アピス、トニー・アイオミ、ギーザー・バトラー。
さて、それではここから記事の翻訳です。
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Black Sabbathの、オリジナルシンガーであるオジー・オズボーンとのいくつもの再結成は、バンドへのだれていた興味を単に掻き立てることもしなかった。見た限りでは、しばしば見過ごされるロニー・ジェイムス・ディオとのコラボレーションをも、これっきりぼやかしてしまったようだ。
「Black Sabbath:The Dio Years」は、2007年4月3日にリリースされたコンピレーションアルバムで、再びその時代を展望に入れる意味を持った。1980年のHeaven and Hell—彼らの最初のアルバムから5曲、余勢を駆った1981年のMob Rulesから4曲、1982年のライブアルバム; Live Evilから1曲、1992年の再結成作Dehumanizerから3曲、そして予期しなかったことに新曲が入っていた。
ディオは、最初にレーベルが、この新しいコンピレーションのために未発表の保存された曲がないか聞いてきたが、何もなかったと語った。
「私たちはこれを始めた時、レコーディングしておかなかったどの曲もやらなかった」と、2007年にGibson に語った。「本当に、このプロジェクトをもっと興味深いものにするものはなかったんだ。だから彼らは私たちに、アルバムのために2曲書くように頼んできた。少し考えた後で連絡しあって、やることに決めた。3曲を書いたよ。」
もう1度言おう。ディオはBlack Sabbathをオズボーンの影から抜け出させ、ギーザー・バトラーに代わってバンドの中心的な作詞者になることで彼自身の個性をバンドの進歩に刻み付けた。その歌はメタルの全範囲に広がった―引きずる「Shadow Of the Wind」からミッドテンポの「The Devil Cried」へ、そして速駆けの「Ear In the Wall」へ。
「あれらは完璧な配合だった。たった3曲の中でやるという制約においてはね」ディオはMTVに語った。「万全の準備をした気がするよ。そして歌詞はとても奇妙だ。Sabbathに戻るといつも、鎖を脱いだように感じて、自分が望むように奇怪に書けるんだ。」
Black Sabbathの伝説におけるディオの短い、しかし重要な役割を覚えているのは、ファンだけではなかった。トニー・アイオミもそうだ。「ロニーがこれらすべてのヴォーカルにおいて、素晴らしい仕事をしたと言わなければならない―本当にそうだ―そして歌詞の内容とメロディーも実に良い。」アイオミはMartin Popoffによる2006年のインタビューで、遅まきながら彼らがとらえた‟古いBlack Sabbathの作曲スタイルによく似ている”それらを指摘しながらこう言った(※この1文は意味の通じない単語があるため意訳)。
「Black Sabbath: The Dio Years」は、あの時代の持っていた重要性を強調しながら残りのバンドの物語を語ってくれた―2013年にオズボーンがいるBlack Sabbathの、長く待たれたフルレングスのスタジオ再結成アルバム、「13」が到着するまでの―そしてグループの広い音楽的妥当性の最後の瞬間を記憶させた。アイオミは「Live Evil」のあと、メリーゴーラウンドのように入れ替わるシンガーとともに仕事をし、ディオの短い在籍は創造的な面と商業的な下降を間違ったやり方で混同されているように見える。「Dehumanizer」での短い再結成が引き裂かれたのは、個人的な関係の難しさにおいてでもあった。
今でもこのコンピレーションは、ディオが、オズボーンのいたどろどろした絶頂期に企てたどんな曲よりも早い音とともに、いかにバンドを強烈に率いていくことができたかを描き出している。当時、彼らはドゥーム・ロックよりもずっとニュー・ウェイヴ・オヴ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(NWOBHM)だったのだ。たとえ彼らの音が進化し、ラインナップが変わっても。オリジナルドラマーのビル・ワードは1980年に脱退し、「Mob Rules」・「Live Evil」・「Dehumanizer」そして新曲ではヴィニー・アピスになった。(アピスはディオの名前のアルバムにも顔を見せている。)
「The Devil Cried」はビルボードのトップ40・メインストリームロックチャートにランクインし、話は必然的にツアーのことになる。「私たちは一緒に仕事をし、とても楽しかった」とディオは2006年にMTVのインタビューで言った。「人と仕事をすることに大きく時間が空いた後では、彼らがどんなにいい人で、一緒にいることをどんなに好んでいたか忘れてしまうんだ。」
古い伝統はしぶとく、堅い。彼らはツアーと2009年の再結成アルバム「The Devil You Knowではバンドの名前をHeaven and Hellに変えることにした。その動きは明らかに、もう1度言おう、オズボーンのいたBlack Sabbathとは違っていた。
「我々はディオとともに多くの偉大なことをしたし、Heaven and Hellの旗印の下でやっていくのはいいことだと思った。だから混乱はないよ。」アイオミは2007年にPlanet Rockで語った。「Black Sabbathとして表に出たら、『Paranoid』や『Iron Man』を聴けると期待されてしまうだろう。何も悪いことはないが、もう10年もオジーとやっているんだ。我々はロニーやヴィニーとずいぶん前にやっていて、当時は妥当な時ではなかったんだ。でも今は間違いなく、その時だ。」
翻訳はここまで。
どうです、みなさん。
Black Sabbathにおける、ロニー時代の重要性がなんとなく見えてくるでしょう?
何より、この記事を書いた記者さんの熱気がけっこうすごいのよね。
「ディオはBlack Sabbathをオズボーンの影から抜け出させた」
「ディオが、オズボーンのいたどろどろした絶頂期に企てたどんな曲よりも早い音とともに、いかにバンドを強烈に率いていくことができたか」
とか。
間違いなく、これを書いた人はロニーのファンですね(笑)
管理人は2007年当時、ちょうどロニーのファンになりたてのころで、Heaven & Hellの情報についてはけっこう耳をとがらせていたので、あの時の熱気は今でもかなり覚えています。MTVやスペースシャワーTVでも特集をやっていたっけな。
その後、Black Sabbath はオリジナルのラインナップで最終アルバムを出して、そちらがまた大変な話題になったりしましたが、こうしてロニーの時代のことも定期的によみがえらせてくれたら嬉しいですね。だってそれは、ハードロック界で忘れてはならない、真の宝なんだから。
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tag : ロニー・ジェイムス・ディオヘヴィメタルハードロックブラック・サバスBlackSabbathヘヴン・アンド・ヘルヴィニー・アピストニー・アイオミギーザー・バトラー
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